プライドはどこ吹く風
NHKの木曜時代劇『ちかえもん』が面白い。
近松門左衛門を演じる松尾スズキさんの顔芸と青木崇高さんの剛柔、それに奥行きのある脚本と脇役に涙と感動を覚える。
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ロシアの陸上競技連盟がドーピング問題に揺れている。
今日、NHKのニュースで日本の競技者がなぜドーピングに無関係でいられるのかを報じていた。登場した日本のスイミングスクールの指導者は、中学生の競技者に対して「自分に負けるな」「嘘をつくな」と指導する。競技で勝つより人間形成が大切ということだ。
美徳だと思う。誇りすら感じる。
しかし、報道は、ロシアのドーピング問題の根深さにアプローチする。
コーチが選手に(おそらく)悪びれることなく薬物を提供する。選手は断ることができない。「五輪に出たくないのか」「五輪で勝ちたくないのか」といわんばかりだ。
限界まで挑んできた選手にとって、コーチが言うことは一抹も否定しがたい。組織的な慣習だとすれば疑う余地はない。
一部始終を隠し撮りしたロシアの女子選手の英断がなければ、その実情を知ることはできなかっただろう。告発した選手のジレンマも理解できる。
あるコラムで、日本のサッカー選手がスペイン・リーグで成功できない理由を述べていた。
コラムによると、現地では「うまくやれ」という風習・土着(総じて風土)があるそうだ。世間的に不正と思われることでも上手くやりこなせば成功者になれるのだ、といった意味だ。それが日本人サッカー選手には適応できないという理屈である。
私はサッカー選手でもなければ、正直言って「うまくやれ」という風土にどっぷり身を置いた経験もない(ただしその風土にいたと後から感じたことはある。要は鈍感なのかもしれない。)
スペイン・リーグの質の高さから鑑みて、その風習だけが成功できない要因とは思えないが、「なるほど一理ある」と思ってしまうのは、石灰化した中年の私だからだろうか。誠実でありたい、美徳を追い求めたいという思う中年の悪あがきなのだろうか。
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このような事例をビジネスに当てはめるている私は、もはや職業病にだろう。「異質馴化」は価値ある発想として悪くはないが、そのままビジネスに当てはめるのは安直かもしれない。
『ちかえもん』のエンディングでは、「このときはまだ知るよしもなかった…。てなことを言うのは私のプライドが許さないのである…」とくる。
近松門左衛門がその捨てセリフ?に笑いをテレビに吹きかけ、ふと気づく。「許されない…」といったプライドは、そのままエンディング・ミュージックとともにどこ吹く風のごとく収束していく。
そしてまた組織の理屈が横行する。
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斎田真一(かえる先生)
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