考えるとは
■考える(思考)とは
考えるとは、「考察対象」と「知識」をつきあわせて何らかの「意味合い」に至るという頭の働きである。
たとえば、「あなたの名前は?」とたずねられ(考察対象)、自分の名前は”かえる”であることを記憶から引き出し(知識)、考察対象と知識をつきあわせて「私の名前は”かえる”」という答えにたどり着く(意味合い)。この一連の頭の働きが、考えることである。
思考はきわめて属人的(人それぞれ)だ。
属人的であるがゆえに、「そうくる?」と意外にとられることもある。しかし、思考成果に新奇性や独自性があり、社会的価値が認められれば、その思考は「創造的思考」といえる。
創造的思考は必ずしも”正しさ”が伴っているわけではない。他者が「正しいなぁ」と思えるような妥当性のある思考が「論理的思考」である。
■創造的思考力が高い人ほど、論理的思考力も高い
ハイ・コンテクスト文化の日本社会において、価値観の多様化や経済のグローバル化が進むことで論理的思考の必要性が叫ばれるようになった。論理的思考(ロジカルシンキング)が学生教育や社会人教育でとり入れられるようになった。
一方、創造的思考は(論理的思考に比べて)その学習が見過ごされたり、学習を施しても業績に貢献しないからと廃止する企業がある。しかし、創造的思考力が高い人ほど論理的思考力も高い傾向にあることは意外と知られていない。
たしかに、”分類・評価・選択”の基礎となる「収束思考」においては、論理的思考が重要である。たとえば、さまざまな事象から共通事項を見つけ、それを一般命題化する(=分類する)のは”帰納的思考”をもって行われる。また、ある事象について、何らかの判断基準をもとに結論づける(=評価、選択する)のは”演繹的思考”だ。
また、自由連想・強制連想・類比発想などの基礎となる「発散思考」においても、そのベースは論理的思考が働いている。たとえば、”連想”は、着想したあるアイデアを出発点に、相似性・相違性などを手がかりにアイデアを広げる。あるアイデアから次のアイデアへの連想には推論が伴う(※ただし、この推論は妥当性を追求するわけではない)。また、強制連想においては、考える観点を固定し、その観点をもとに強制的にアイデアを着想するわけだから演繹的思考が色濃い。
天才的なアーティストなら別だが、一般的なビジネスパーソンは、論理的思考を駆使して発散技法や収束技法を操ることで、実務における価値あるアイデアを創造するのだ。
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企業において、論理的思考の学習は継続すべきだろう。加えて、創造的思考の有意性をもう一度考え直し、その学習を再開・拡充すべきだ。
論理だけでは実りがない。社会的価値のない創造はやがて瓦解する。
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株式会社トレイク(TRAIC.Ltd)
斎田真一(かえる先生)
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